宝塚市にご夫婦で250億円の寄付をした岡本光一さん・明美さんご夫婦。
お二人は、公益財団法人プラザ・コムの代表理事と理事でいらしゃいます。
岡本さんが私財を投じて作られた公益財団法人プラザ・コムについてまとめてみました。
目次
公益財団法人プラザ・コムの基本情報
こちらが公益財団法人プラザ・コムの基本情報です。
(※ 公益とは、公益目的事業 を主たる事業として実施しており、その公益性を認められた団体のことをいいます)
団体名 | 公益財団法人プラザ・コム |
---|---|
法人格 | 公益財団法人 |
代表者 | 岡本光一 |
公益財団法人プラザ・コムは、宝塚福祉コミュニティプラザを運営する母体です。
宝塚福祉コミュニティプラザとは
![](https://entame2025.jp/wp-content/uploads/2025/02/image-56.png)
この施設は岡本光一さんが私財を投入して作られた福祉施設です。
宝塚福祉コミュニティプラザの施設
以下の施設の総称が宝塚福祉コミュニティプラザです
![](https://entame2025.jp/wp-content/uploads/2025/02/image-55.png)
ボランティアの広場 ぷらざこむ1
スポーツ広場ぷらざこむ2
レストランバーチエ
世代間交流の掛け橋 フレミラ宝塚
こむの事業所(完成済み)
1980年4月ころから計画が開始し、2011年4月にこむの事業所が完成しました。
実に31年かけて、現在の姿になったというわけですね
宝塚福祉コミュニティプラザのグーグルマップ
投稿が見つかりません。
岡本光一さんのインタビューサイト
バリアフリーチャレンジというサイトに岡本光一さんのインタビューが掲載されています。
全文は上記のサイトにてご確認ください。
こちらでは、勝手ではありますが要約してみました。
始まりは阪神淡路大震災
- 阪神淡路大震災がきっかけでボランティアを始めた
- 市役所を活動拠点にして、主に仮設住宅に関する大工仕事、力仕事、家具の移動や引っ越しなどをやった
- 震災ボランティアへ経て、市民のためのボランティアを考えるようになった
- 仮設住宅が解消するにあたり、仮設住宅があった住友信託銀行のグランドを銀行と交渉して個人で購入
- それから財団を設立し整備を始め、ぷらざこむ1とフレミラを建てた
- その後フレミラは市に売却して、市から38年ローンを借り、元本と利息を返済している
- そのお金で施設の全体の維持管理をしている
なぜ、巨額のお金が必要な複合福祉施設を整備できた!?
- 僕は元々電子技術屋で回路設計をしていたんだけど、 30歳手前の時、失業していました
- 当時不況で色んな会社を回ったけど、 縁がなかった
- たまたま小さな新聞広告の求人を見て、入社
- 小さな会社だったけど、仕事をし始めると面白くて どんどんのめり込みました。
- 社長 か ら 「これからオートメーションのセンサ一が売れる。 それを開発してくれJ と言われて開発をして、製品化されました。
- 売上が毎年倍々という感じで売れに売れた。
- 会社がどんどん大きくなって、 そうこうしているうちに一部上場。
- でも、僕の方はそれと相反するように沈んでいったんです。
ボランティアをしたくて一部上場企業を退職?
- 技術屋だったため部下の管理が苦手だった
- 会社が大きくなると部下は増えていった
- 社長に退職させてほしいと言った。退職の理由として「ボランティアがしたいから」と説明した
- 会社が自社ビルを建てた後の1994年に退職し、しばらくは監査役として月に1回出社していた
ボランティアの魅力は人間関係
- ボランティアでの人間関係は会社での人間関係とは全く違った
- 三番目の社員で、ストックオプションを持った
まとめ
岡本光一さんが私財を投じて作った公益財団法人プラザ・コムについてまとめてみました。
最後までお目通しいただきありがとうございました。